blog お引越しのご案内
長らくこちらご無沙汰しております。
blogをお引越し、致しました。
ますます、楽しんで書いております。
どうぞこれからも、宜しくお願い致します。
皆様が、地球と宇宙の祝福と共にありますように。
パンチャセへの旅
パンチャセへの旅
ネパールでのロックダウンは7か月ほど続いていた。
バスも動いておらず、歩いていける範囲での行動に限られる生活が、何か月も、何か月もヒマラヤへの起点となるようなポカラというこの町で続いていた。
ネパールの雨季は長くて、ついに5か月ほど毎日雨は降りつづいた。
そして、ある時を境に、ぴたりと雨は降らなくなり、今度は晴れの日が続いていく。。。
ポカラの町からの景色も、雨季には雲の中に隠れていた、ヒマラヤの6000m超えの山並みが顔を見せてくれるようになった。。。
美しい。。。
街の景色の奥に、ぽっかり浮かぶ山並み。。。
青く青く澄んだ空と。。。
連なる山々。。。
空との境の、険しいピークの方には、雪がかかり。。。
その、青と白のコントラスト。。。
雨季の空けた、ここヒマラヤの空気は長く続いたロックダウンおかげもあり、ますます澄んでいた。。。
思い出すのは、インド側のヒマラヤ。。。
愛するみんなの待っている、あの谷の景色。。。
ある朝、瞑想を終え、外に出ると目の前にヒマラヤの大パノラマが広がっていた。
その日は何かが特別だった。。。
すべてを一回止めて、よし!山に今すぐ行こう。。。
とりあえず、バススタンドに向かい、ロックダウンの後、目指す山までのバスが動いているかを確かめた。。。
帰り道に、山へもっていく食料を買い集める。
今回目指すのは、パンチャセ。。。
その頂には、祈りの場が5か所あり、ヒマラヤの山からのエネルギーと繋がるというやま。
6年前、ネパールの大震災の直後にも訪れ、祈りをささげ、瞑想をした、その場所の記憶がよみがえってくる。
今は観光地化が進みかなり上の方まで、ジープがで上がれると言う話も聞いていた。。。
普通に歩いても、1泊2日という難しくないルート。
宿も食事も上の村で賄えるとの事でしたが、3日分の食料と、寝袋と、防寒着。。。
確か6年前の記憶では、使われなくなった古い石の家の残骸が残っていて、そこで野営をした後を何か所でも見たので、そんなところに泊まるかもしれないという可能性も含めて、自分の想うペースで、自分の心惹かれる場所に行き、人に頼ることなく、必ず無事に帰ってこれる。
そんな、意識を持って荷物を準備をしました。
あーーーやっと。やっと。。。山を歩ける。
この数年間、インド側のヒマラヤ。標高2700mの徒歩でしかたどり着けない村での暮らしをメインにしていた私にとって、山を歩くのは毎日の日課で。。。
そんな暮らしを心の底から愛おしいと思っていたのです。
山への旅は、基本的にいつも一人。
恐れはないのかと言ったらウソになる。
カナディアンロッキー、ヒマラヤも何か所も登った。山小屋のアルバイトも2シーズンした。
長い長い山での時間の中で、たくさんの人が帰らなかったことを知っている。
それは、ほんの一瞬。難しいルートでなくても、登山にたけた人でも、足の置き場が5cmずれてしまったというな。そんなことで、私たち人間の儚い儚い命は山に還ってしまう。
山の民との暮らしから、自然と身にしみついてきたともいえる、ヒマラヤの歩き方。。。
そして、ヒマラヤを愛する気持ちと共にバスに乗り込んだ。。。
バスはどうやら、登山道の下の町まで行くようだったけれど、6年前に通った道を行きたくて、みんなが進めてくれた終点を待たずに、途中でバスを降りた。。。
バスを降りた場所は6年前を思い出させて、記憶を頼りに山道に入ろうとすると。。。
村人たちが、そっちじゃない。バスの終点まで行きなさいと言う。。。
その道は、幅が広げられて、バイクが通れるようになってはいたけど。
でも、はっきりと記憶に残っているその道は、確かにパンチャセの頂上まで続いているはずなんだ。
その道をしばらく行くと、バイクに二人乗りしていたローカルの男の子が心配そうに声をかけてきた。
彼らの話によると、バス道路が伸びて、頂上近くまでも砂利道が伸び、今は、その新しい道をみんな使っていて、私の選んだルートは、すたれてしまったんだという。
頂上までの道を、まっすぐ登っていく新しい道と。
大きく迂回しながら、森を超えていくルート。
もう誰も通らないから、道も草にの中で見つけずらいし、野生のタイガーがいるし、雨季の最中にがけ崩れもしているし。。。
とにかく、危ないからやめておけという。。。
でも、行くんだよねーーーと言ったら、バイクでいけるところまで乗せていったあげると言ってくれた。
おろしてくれると言っていた山の村には、アシュラムがあるらしく、ババジとマタジがいるから、そこにも泊まれるかもよ。と言っていた。
バイクの後ろに載せてもらったけれど、かなり強引に彼らの住む村に誘われる。
ヒンディー語で、君の家には行かないし、私は頂上にお祈りに行くからと、はっきり強く言っても、相変わらず強引で。。。
nepal`では昨今、カタールや、サウジアラビア、日本、韓国へ出稼ぎに行く人がとても増えている。
この男の子たちも、カタールから帰ってきたてのようで、ネパールの山の人達の穏やかな雰囲気と言うより、出稼ぎに他国に行った人の特有の何とも言えない雰囲気がしていた。
山の村で育った青年たちは、身体能力に非常に長けている。
先進国で、お金のために、沢山働き。。。ヒマラヤの民の誇りある精神や、輝く瞳を何かと交換してしまった。。。
そんな話や、そんな人たちをたくさん見てきた。
最初に話していた、おろしてもらう予定だった村を通り過ぎているのに気がついて。
どこへ向かうのかと聞くと、自分の村へ向かっているという。。。
パンチャセにはいかずに、その人の家にオーガニックガーデンもあるし、ボランティアの外国人も昔きていたし、畑を手伝いながら、ゆっくりしていきなさいと言う。
非常に危険!!!
日本政府はかなり、ネパールの発展に協力していて、多額の寄付や人材の派遣もしてきているため、日本人と結婚したら、一生お金に家族全員が不自由しなくていいと、そんな妄想が常識のようになってしまっているネパール。
大きな声を出し!非常に怒ったふりをし、無理やり、バイクを降りる。
一人で歩いていくと、なんと!!!一人の男の子が歩いてついてきた。
半袖一枚、荷物も持っていないのに、危ないから一緒に頂上まで行くという。。。
どこに寝るの?と聞くと。私の荷物を見て一緒に寝るという。
何を食べるの?と聞くと。私の食べ物を一緒に食べるという。
タイガーよりも、何よりも。この子が非常に危険!!!
目つきや雰囲気、話していることが、穏やかではなくなってきている。
なんとしても、この男の子は私から離れたく無いようだけど、ここは、真剣に追い払わないといけないという場面。
棒を振り回して追い払おうも、めげずに一緒に行く。電話番号教えて。離れたくない。
挙句の果てには、愛の告白。。。
これは、本当にまずい。。。山の中で人もいないし。。。
もう、本気で逃げるしかない。。。
ずんずん歩く。ついてくる。。。ついてくる。。。
途中、ついに家を見つけて、その家の門をノックする。
ついてきていた青年は必死にここに行ってはいけない!僕と一緒に行こうという。
中にいる人を見て、ここが村人の言っていたアシュラムかもしれないと思った。
最初、コロナウィルスを警戒して、門を開けてもらえなかったが、事情を話し中にいれてもらった。
アシュラムで働く青年が、私についてきていた青年を探しに外に出るも、その青年は消えていた。。。
ほっとして、辺りを見回すと。。。
何とも美しい風景が広がっていた。
石や、木の素材を生かした美しい建造物。
花達も、それはそれは美しく、愛の溢れているお庭を蝶が舞っていた。
小鳥たちのためのエサ場の近くで鳥は歌い。
円形の土と石でできた建物を、地元の村の若者で、自然建造物やyoga、meditationに興味のある男の子たちを雇って、増築していた。
そして、インドで生まれたババジ(ヒンドゥ―教の出家者で1年前に他界)と、30年近くをインドで過ごしたドイツ人で妻のアンジュ―のアシュラムはART of living そのもの。。。
ひと時前の、物々しい雰囲気から一気に、懐かしい、ヒマラヤとshiva神の信仰の場へ。。。
家の中の祭壇にはshivaとparvatiが座っていて、もう感無量。。。
マントラを唱え、無事にこの場所に導いていただけにとに感謝の気持ちが心の底から溢れて。
インドの村のみんなだったら、それは神のご加護だ!!!と、当たり前のように言うろだうな。
そして、私もあの土地で長い年月を過ごし当たり前のように...
shiva とparvatiと、この地に眠るババジのおかげだと、いつも守っていただいてありがとうございます。と感謝しかなかった。
そう、インド側のヒマラヤ。私の住んでいた村では、山岳信仰とヒマラヤに座っていると言われる、shivaとparvatiの聖地。
そして、シーク教の聖地でもあり、大きなお寺と巡礼者用のお部屋(インドではそれもアシュラムと呼びます)や、巡礼者には食事を施すのが慣習で、お寺に食堂もあったり。。とにかく、ヒマラヤの中の巡礼地だったので、それはそれは、久しぶりにその雰囲気を感じられたことは、とても深い深い喜びを私にくれた。。。
仏教国で生まれ育ち、仏陀の教えも深く根付いているのだけれど。。。
自分の中の、ヒマラヤの山岳信仰を尊ぶ気持ちも深くあるのだという事に気が付いた。
とにかくヒマラヤの山並みとshivaを見ているだけで、心がまるで故郷に還ったような。。。
そして、実はいつもshivaもparvatiも私と一緒に、nepal側のヒマラヤで一緒にいてくださったような気がした。。。
アシュラムの主、アンジュも、私のインドでのライフスタイルやしてきたことを、すぐに理解してくださって、尊敬と愛をこめて迎えてくれた。
インドで人生を神に捧げ、ババジと共に信仰と共に生きてきた、マタジのアンジュとは、たくさんの事を言葉を超えた次元で理解しあえて、私たちはすぐに親友になった。
日が暮れるまで、私とアンジュはタイル貼りをして、男の子たちは丸い家を作っていた。
日が暮れてからは、男の子たちは外で火を焚いて、おかずを作り。家の中ではガスを使って、お米を焚いて。
火にあたり。。。それから音楽の時間が始まった。
みんなで、音を奏で、楽しく歌った。。。 実はこれもヒンドゥー教のカルチャーの一つで音楽をとても大切にしている。
そして、私は糸を紡いだ。。。
アンジュは、私のしている事をこの若者たちに伝えてほしい。そして、若者たちに聞いてほしい。言ってくれた。
そして、himalayaの山の中のアシュラムで、日本人の私が、ヒンディー語でゆっくりと彼らに伝えた。。。
私は、インド側のヒマラヤで、羊飼いと共に暮らし、羊毛を刈って、氷河からの渓流と火の力で洗って。太陽と風の力で乾かして。
糸車ではなく、もっと古い方法で糸を紡いで、木の織り機で織って、それで今、着ているこの服を作ったの。。。
でも、これは、貴方たちのおじいさん、おばあさんの時代までは、Himalaya中。どこでもしていたでしょ。
今はもう、みんな、外国に出稼ぎに行ってお金を作ることばかり考えてしまっているけど。。。
私は、ヒマラヤの民がどれだけ賢いか知っているよ。
風、水、土、火、空。。。そのエネルギーと、人の足と手を使い、美しく、暮らしてきたのを知ってるよ。
宇宙(shiva)と地球(parvati)と、調和して生きる力強いことを知っているよ。。。
このままでは、このカルチャーは無くなっていってしまうのも分かってるよね。。。
でも、私は、ヒマラヤの山の民は本当に素晴らしいと思いますよ。
私は、ヒマラヤの羊飼いと共に、糸を紡ぎたいと思います。
nepalとか indiaとか、国境なんて人間があとから作ったことでしょ。
インド側のヒマラヤだって、ここネパール側のヒマラヤだって、関係ないよ。
私は、ヒマラヤの伝統の糸を紡げて幸せだよ。
そこにいたネパール人の若者みんなが、真剣に、誇らしげに、私の話を聞いてくれていた。
ヒマラヤの夜は、火を囲み、音を奏で、たくさんの希望や夢を若者たちと語り、ヒマラヤの風が心を撫でていくような。。。
そんな一日目は、祭壇の隣に寝袋に入ってとても快適に休ませていただきました。
OM NAMAH SHIVAYA...
そう、変わりゆくこのヒマラヤで、村の若者たちと、先人からの教えを共有できたことがとても嬉しかった。
私は、昨年、日本で展示会をして、正直、日本の社会も感じながら、その一部でもありながら、ヒマラヤの民が変わっていくのを、自分に見届けることができるかわからなくなっていた。
確実に、私のやっていることは、もうすぐになくなってしまう。。。
すでに、今、この瞬間。。。6年間、あの谷で真剣に、羊と向き合ってきたけれど。
私と同じやり方で、糸を紡ごうとする人は、敬愛する長老のおばあさん一人しか見た事がない。
羊毛を刈ったところから、一番一番古い方法で糸を紡いでいる人は、もう本当に少ししかいない。。。
その現実を村の中に入って見つめるのが、重たくて、苦しくて、私一人には、見届けることなんかできない。
目を背けて、楽しいレベルで、やっていった方が、お金も入るだろうし、有名にもなるだろうと思ったり、そんな葛藤があった。。。
この、ロックダウンの間、徹底的に自分と向き合って、自分の古い肉をそいでいくような。。。
要らない、思考や思い出とサヨナラをしていた。その最中は痛かった。。。
本当に血が出ているのかと思ったよ。
人生まだ半分以上あるのなら、今ここで、本気で変わらないと。
糸紡ぎを続けるにしても、辞めるにしても。。。とにかく、向き合うしか方法が思いつかなった。。。
その過程で、出来上がってくる作品も、どんどん変わっていった。。。
あの谷には、人間界のの事情で帰れないけれど。。。
私は、同じヒマラヤで、糸を紡ぎ、人類とすべての生き物の平和と調和を心から祈っているよ。
あの谷での暮らしのなかで、たくさんの種を、私の中に蒔いていただいたんだ。
その種は、国境とか人間界の事情なんか、全然関係なく、私の中にしっかり根を張って、私の一部となってすくすく育っています。
ヒマラヤの種は、一見、厳しくて、土壌に汚れがあると、その汚れを浄化しようとするんだね。
痛かったけど、、、その種がすくすく育てるように、土壌をよくするように、自分の内を耕して、石やいらないものを取り除いていた感じ。
そう、私の中のヒマラヤの種をしっかり感じた夜だった。。。
旅も、山登りも慎重に。。。
慣れているつもりが災いして、時に、危険な目にあってしまうものです。
あーなんて濃密な一日目だったんだ。
危険や無茶はしないようにしようと思ったのでした。
みなさんも、絶対に無理はしないでください。私もしません。
必ず生きて日本に帰ります。
うん。
今、作っているもの、本当に好きです。
どんどん、純粋に自然への愛と感謝を表現できるようになっている気がします。
どんどん純粋に、宇宙とのつながりに調和と感謝をささげることができるようになっています。
糸を紡ぎ始めたのも、あの谷に住み着き始めたのも、すべては予定外で、私の意志や願望ではなかった。
導きによって、今では、私の中にヒマラヤの山の民の智慧も行動も刷り込まれているのをこの後の旅でも感じることになります。。。
さて、まだまだ山旅1日目。
パソコンもウィルスにかかって使えなくて。。。
ゆっくり更新していくよ。。。
最後まで読んでいただいて、本当にありがとうございます。
心からの愛をHIMALAYAより。
2日目も楽しみにしていてね。
すべての幸運に感謝を込めて。。。
山のみんなとの今の関わり方。。。
ネパールにいても、インドの山のみんなとの交流は日々続いて更新されています。
連絡頻度は、週に数回、電話でいろいろお話ししています。
2,3日に一回電話していても、彼らも空港はまだまだ空かないとわかっていても。まだ帰ってこないの?Nepalから歩いて帰ってこれないの?と、毎回、おなじみのやり取りをして(笑) 早く帰っておいでよーーー。って言ってくれる。
先日は。。。
山の麓の郵便局に半年前に日本から送った荷物が、この騒動で、やっと届いたようで。
たぶん、あの日本人のだろう。。。
でも、最近見ないぞ!
あの日本人の仲のいい村人に電話するように言ってみよう!
という事で。
FBメッセンジャーで、村の友人でもありsisterと呼び合う”teji”から電話が来たと思ったら、本人ではなくて
郵便局員さんが画面越しにNamaste!!!って笑っていました。
村の人の満面の笑みと言ったら。
もう、そんな瞬間。。。
こちらも自然と笑顔こぼれて Namaste!!! と元気に返していました。
郵便局の方に、荷物を、また違うお友達”Gita”さんの家に届けてもらうようにお願いをして、電話を切りました。
次の朝。。。
”Gita"さんの家に届いた荷物を、ビデオコールしながら開けもらって、中身の確認を一緒にしたら、空けられた形跡もありませんでした。
気になる中身は。。。
日本の友人で、モリモリというトレイルランをしているお友達が、使わないけれど状態のいい、高機能のマウンテンウェアを、山のみんなにプレゼントしてくれました。”Gita”さんの旦那さんに一枚。 数ある中から一枚選んで。日本製のいいやつだから3年は着れるね。俺は物持ちがいいんだよ。と、喜んでくれました。
逗子でオーガニックフェアトレードショップをされていた歌手のゆうこさん。から預かった、外国の色どり美しい毛糸たち。数年前に編み物が大好きだったお母様がご病気で他界されました。お母様が残された、毛糸や編み棒を譲っていただ毛糸たちです。
電話越しの”Gita"さんの娘さん達に、靴下一枚ずつお母さんに編んでもらおうか?と、言うと、色とりどりの山奥では手に入らないような毛糸を、にこにこ、にこにこ、姉妹で話し合ったりしながら選んでいました。
生前、お母様の編まれた美しいショールが、ゆうこさんのお店に飾ってあったことを思い出します。ゆうこさんのお母様も、とても慈愛にあふれているかたでした。異国の山のおばあちゃんと、編みものしたいな。と、想われていたそうです。
お母様の魂が天にお帰りになられてから、少し時間が経ってしまいましたが、私がいなくても、天に近いあの場所にきっと見守りに来て一緒に楽しんでいてくださっていたよらいいな。と想います。
それから、みんなへのお土産の、お洋服や、バッグや、ちょっとしたキラキラしたものなんかがいっぱい。
”Gita"さんのお土産も受け取ってもらって、にこにこしていました。
最後に、刃物のお手入れセット。革やすりと研磨剤を2種類。
山の暮らしには刃物がつきものですが、石の上で研いでいたので、博識のお友達に教えていただいて、石油原料ではないというお勧めの研磨剤。
それを見た”Gita"さん。うちのナタも研いでねーーー。と嬉しそう。
これも、マウンテンウェアをくれたモリモリとこずちゃんご夫婦からのプレゼント。
この荷物も、実は日本を出発する日までにネットで注文していた荷物が届かなくて、こずちゃんが送ってくれました。
ほとんどが、お土産と毛糸だった、今回の荷物。
本当に届くのか?今の子の状況では、国際郵便は場所によっては、止まっているし。
どうなるのだろと思っていましたが。荷物を送っていないし、受け取ってもいないし、でも、無事についてくれて。
何かがゆっくりと進んでいる感じがありがたいです。
山のみんなは、日本のみんなが靴下喜んでくれたかな?とか。自分の作ったものがちゃんと売れたかなど。。。実は、気になっているみたいで。 本当に喜んでくださっていたよ。ちゃんと買ってもらえたよ!と言うと、嬉しそうに笑う。照れる。
展示会のチラシを、大切に家の壁に飾ったりする人が続出したり。。。
そして、毎回、私の師匠は帰るたびに涙するほど喜んでくれる。
この騒動の最中も、私がnepalから帰ってこないから。。。
死んじゃったらどうしよう。。。って、心配し過ぎていたよ。と報告がありました。
山のみんなだって、外の世界は近代化していっているのは知っています。
昭和のように、村に数台あるテレビを、チャンネルごとに違う家に集まっては見ているような暮らしだけど、5Gの電波が、今やエベレスト山頂まで届いているような時代。この山でも数年前に4Gが使えるようになりました。
それを知って、もちろん、大きく変わってきているのだけれど、自分達の暮らしに誇りを持ち生きる姿は、ヒマラヤの守り人のよう。
まっすぐな地につながった姿は美しい。
それでも、日本の人達がどれだけ目を輝かせて、靴下を選んでいたか。などお話しすると、本当に本当に嬉しそうだったり、得意げだったり、誇らしそうだったり。
とても愛おしい人達です。
nepalに来る前に、紡ぎ終わっていた4kgほどの毛糸を編み手さん、織り手さん達に、原毛10kgを糸紡ぎをしていただけるよう紡ぎ手さん達にお渡していました。
いました。総勢10人以上の方にお願いしています。高齢の方が多いので電話を持っていない人が多いのです。
家庭内、親せき間で、作業を分担して羊毛を洗う所から、糸を紡ぎ、織り、編んでいくという作業を行っていく、また、作物も家族みんなで育てて、得られた現金も、家長の采配で運用されていくという暮らしがほとんどと言える文化の場所です。
”Teji"のお母さんは羊飼いで、羊毛も分けていただいてますし、糸も紡いでくださってます。 お母さんが3kg糸紡ぎ終わったよー。私、ショール織ってもいいかしら?もう1㎏は妹の”sunny"に、織ってもらう??? もうこれまでに、何枚もショールを織ってくれている”Teji"と”sunny"。行動力もあって、体力も人一倍、人が大好きな"teji".と、牛も、数頭飼っていてギー作りや、織物。家事が得意な"sami"。さらに、もう一人の姉妹"pabna"は、ウールを洗ったり、干すのを手伝ってくれたり。紡ぐまでの過程のプロフェショナル。
羊飼いのお母さんと娘さん達3人の連携は、何代も、幼いころから、こうして暮らしてきた来たのであろう、日々の生き方、村の暮らし。
またほかのエリアには、まとめ役に適した”Anita"という女性がいます。
”anita”は、私がこの谷にやってきたとき、編み物を教えてくれて、以来、深い交流が続いている。彼女は、今回、二人の紡ぎ手さんを取り持ち、それぞれ、靴下用の紡ぎ方を何キロ、セーター用の糸は3着分。など細かい指示まで出し、彼女を含めた3人の編み手さんに届くようにまでしてくれました。
こちらのメンバーは、私の師匠達を含む、編み物精鋭チーム。すべてのメンバーと一緒に暮らし、共に作業をしてきた方々。
バスも自家用車も完全に封鎖されていた状況下、病院に行くため移動するパスをもらった親族に毛糸を運んでもらって、60kmも離れた場所まで糸を届けるという。壮大な!計画まで実行してくれていました。後から、電話で報告をしてくれた時には、驚きと、感謝、もう非常に感動しました。
こちらも、家族の連携の力を改めて感じました。
”Anita"の旦那さんのお仕事は、個人経営のインド式の結婚式屋さんだったので、ロックダウンのせいで結婚式はできなくなってしまったので、急遽、家族でテイクアウトの軽食を販売するようになったようで。インドも経済への影響が深刻な様子。そんな中で私の仕事まで手伝ってくれているので、身体無理しないで。旦那さんの仕事が落ち着くまで休んでもいいよ。と言ったら。
きっぱりと、私は楽しんでるし、続けたい。わたしはhappyよ。と、電話越しに言ってくれて。
とても嬉しかったです。
そして、今、この瞬間、日本の友人。さだ君、きいこちゃん、ぼんちゃん、てるちゃんの定岡さん家族と、ゆうや君の5人が、私がnepalのこの村から動けなくなってしまったように、インドの私が通っている村から、日本に帰れなくなってしまい、先ほども登場した、”Teji"さんのお宅に滞在しています。
偶然5人とも、旅の中で出会っていて、それぞれ、印象に残るステキな人達でした。
時々"teji"から、村の様子の報告の連絡が来るのですが。こういう時の頼もしさには、尊敬しかありません。
彼らが滞在し始める時も、友達がその辺りにいるみたい。と、nepalから連絡したら、ちゃんと面倒みるから、大丈夫だから。と、いつも笑顔と威勢のいい声で答えてくれます。
一番最初の写真の”Gita"さんのお宅には、ヒマラヤ源泉かけ流しの個室の温泉がありまして。
日本人の家族の方、子供たちもいるし、こんな騒ぎに巻き込まれて、大変でしょーーー温泉使ってもらっていいのに、遠慮してる感じがするから、Umi(私はこう呼ばれています。)から、日本人のお友達に遠慮しないで、いつでもくるように電話で伝えてね。
と、連絡がきました。
本当に、その前に定岡ファミリーと連絡を取った時に、お風呂使わせていただいてるんだけれど、お金も取ってくれないし、申し訳なくて。。。と確かに言っていました。
いつでも、だれにでも、そういう訳とは、いかない様に思うのですが。
彼の人柄、心が村の人に伝わっていって、みんなに愛されているのが想像できます。
自分達だって、コロナで今年は大変だ。どうしよう。どうしよう。と言っているのに。
国籍とか超えて、旅人も全部抱え込んで、ヒマラヤの一部。にひっくるめちゃうような。
そんな、おっきなおっきな安心感が村の暮らしにはあります。
山の厳しい暮らしを生き抜いてきた彼らは、厳しい部分は非常に厳しいのですが。
この騒動のなかでも、本当に逞しく、心豊かで。大きな愛もそのままで。
今日も、ヒマラヤのどこかの平原を、村の羊飼いのお父さんが羊が歩いていています。
今、私はいないけれど。。今も地球の上のどこかで、あの谷でみんなが豊かに暮らしていてくれること。それが、とても嬉しい。
離れてみて、日常の中にいると、気が付かなかなかったのですが、改めて感謝の気持ちが湧いてきます。
きっと、改めて、家族や身近にいる人の大切さを想ったりされている方も多いのではないでしょうか?
”teji”の娘のlaxumiは、村に3年に一度、神様がやってくる、特別なお祭りの日の写真を、さだに撮ってもらったよーと、私にメールしてきてくれました。
山岳信仰を大切にする彼らは、村中すべての家のペンキを塗り替えて、神様をお迎えします。
日本のお友達からのプレゼントがお山に到着したり。
山のお友達も、日本人のお友達を大切にしてくれたり。
私がいなくても作業を勧めてくれていたり。
今この瞬間も、目には見えないけれど、愛や想いは繋がって、世界を循環していっているんですね。
私にお気持ちを託してくださる方からの贈り物も、お届けさせていただいて。
喜びだけじゃなくて、遠い日本と言う国の、誰かと繋がっている。
日本の方が思ってくれた気持ち、山のみんなに伝わっている気がします。
言葉にするようにうまくできていないと思います。
私は、糸紡ぎも、羊飼いも、山の暮らしも、みんなの事もますます大好きです。
今、あの谷の暮らしが美しいと思えていることに感謝をしています。
この地球が、幸せで健やかで、私たちを、育んでくださっていることに感謝します。
みなさまが、健やかに、幸せで地球と宇宙の祝福と共にある、今、この瞬間に。
ありがとうございます。
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最後に、文中に出てきた、さだ君はとても素晴らしい文章を書かれています。さらに、明晰に優しさとユーモアをもって、山での日々や写真をFBに載せています。
そう、まさに、それが表現したかったんです。という事を、さっらと、スマートに、そして、彼の優しい性格が前面に出ていて、とてもお勧めです。もう、数冊本も書かれています。
FBに日々の事を綴ってらっしゃいますので、ご紹介させいただきます。
一枚の布ができるまでの物語 ①
はじまりは。。。
偶然の雪のせいでした。
(2016年1月にFBに投稿していた文章より)
それは、まるで物語のように始まったのです。
私と、紡ぎとの出会いのお話を少しだけ。
マハトマガンジーがおっしゃっていたように、紡ぎには計り知れない、何かがあるような気がします。
私にとっては大きな大きな革命でした。
自分で、糸が紡げたら、セーターも、手袋も、帽子も編めてしまいます。
しかも、すっごくあったかい◎
自給自足的生活にあこがれ続けている私ですが、意外と紡ぎって簡単で、都会でも、田舎でも場所を選ばずにできちゃう。
心が落ち着くんですね。
2014年、12月のこと。どんどん寒くなる北インドヒマーチャルプラディッシュ。お友達家族が、タクシーをチャーターして水晶の買い付けと、山奥の秘湯に行くツアーに行くという事で、便乗することにしました。
初めてその谷に入った時、初雪が降り始めました。
最初は1週間くらいのつもりでいたのですが、雪がひどく降り続き、その日から3週間位、谷全域で大規模な停電になりました。
現金がなくなって、ATMももちろん使えず、宿代も払えず、移動もできずとどまることになったのです。
白銀のヒマラヤの谷は、朝も昼も夜も美しすぎました。
特に、大規模の停電と凍てつく寒さのおかげで、夜の暗さと静寂の深さは図りしれないくらい深く、深く、幻想的で。
雪山の夜の星の輝きは、星と星がお話ししてるのが聞こえるようでした。
言葉にできないくらい美しい。
太陽の出ている時間は、村々を歩いてめぐりました。
そこでは、昔ながらの山の村の暮らしが残っていました。
家の煙突からは煙が上がり、ロバや牛を追い歩く人達。
麻は薪を拾いに出かけ、日中は、日向に座りおしゃべりしながら、羊毛を紡いだり、編んだり、機織りをしたりする女性たち。
インドの前に旅していた、オーストラリアのタスマニアでウールの紡ぎに出会いとっても憧れていた私は、その光景に恋に落ちてしまったのでした。
そして話を聞くうちに、村の人たちがこのような仕事をするのは、雪の季節のみで、雪のない季節は山や畑の仕事が忙しいから、もし習うなら、厳冬期の今の時期だよと勧められたのでした。
紡ぎを始めようにも、今は、その地方でも紡ぎ離れが進んでいて、紡ぐ道具もお店には1週間あらゆるお店に聞いたけれども見つかりませんでした。
知り合いの村のおばちゃんにいただいて、ウールも羊飼いファミリーから譲っていただいて。ゆっくりとその地域のになじんでいくようでした。
いつも紡ぐ道具持って歩いて、紡いでる人を見つけては教えてもらい、チャイ屋さんでも。道端でも。どこでも、かしこでも。。。
紡げる人を見つけては、教えてもらい、本当にたくさんの人に教えてもらったのでした。
そのうちに、紡いでるウールにも質の差があることが分かってきました。
そこで、ウールはありますかと、村々を聞き歩く日々が始まりました。
なかなか外国人の私には、ふわふわのウールが見つからなくて、宝さがしみたいな日々でした。
そんな毎日を過ごすうち、一月も半ばを迎え、雪の寒さも本当に厳しい時期がやってきました。
その頃、私は、谷の奥の奥の方のとある村、深く積もった雪山の道を数時間歩いてやっとたどり着くような村にいました。
全ての水は凍りつき、溶けることはありませんでした。
毎日、水を溶かして飲み水を作り、薪を割って蓄えて。
晴れた日の太陽が、どれほどありがたかったことか。
初めて見たダイヤモンドダスト、大きな雪山と青い空と清い空気。
太陽の出ている日は、羊飼いさんの家の、日向に座って、靴下の編み方を習っていました。
日が暮れたら、ご飯を作って、夜はタンドリの日にあたる。
雪のこの時期でも、毎朝、草を食ませに羊を連れて山を歩きに行く。
彼らは、冬のために夏の間草を刈って貯めています。それでも、晴れた日は、羊と共に歩くのです。
夜は、山からチーターみたいな獣が来るからと、家の軒先で眠る。
大変な仕事なので、深刻な後継者不足のようです。
それまでの旅の中で、先進国の農業、家畜の飼い方に疑問を感じていたのですが、ここでは、羊と羊飼いの絆が見えるようで、それは、昔読んだ本の一場面のようで、2015年のこの世にも残っていることがうれしくて、愛おしくて、この変わりゆく世の中で、いつまでも、いつの世までも続きますようにと心から願ったのでした。
雪のまだ残る谷に春が来ました。
白い雪の残る谷に、新緑のなんと鮮やかだったことか。
雪解け水は長く閉ざされた、雪の時期の心をも溶かすかのようでした。
鳥は歌い、植物は一斉に芽吹きはじめ、共に、冬を越した人たちの顔には、春の光共に輝く笑顔。
春の訪れとともに山にも活気が戻り、村の人たちは、種まきの準備で忙しくなり、みんなそろって畑へ出かけ、日向に座って、織物や編み物をする人たちの姿は見えなくなりました。
私は靴下が編めるようになって、自分で紡いだ毛糸も、何とか編み物に使えるくらいのレベルになっていました。。。
そして、ビザの期限が切れてしまったので、また戻ります。と、みんなに話して隣国、ネパールへ向かったのでした。
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初めてのインド旅行で、偶然この谷に着くまでは、織物の事も、糸紡ぎの事も、ましてや、羊飼いや山の民の暮らしも、自分がこんなに夢中になるなんて思いもしていませんでした。
最初の頃は、古い虫が湧いてしまったウールしか見つからなかったり。
何より、言葉も風習も分からなかったので、何とか熱意で村人に近寄っていっても。。。外国人なので追い返されたり。。。
この写真はこのおばあさんmanormaさんの小さなレストラン。
座っている床の下には天然温泉のパイプが通っていて、暖かいで寒い時には時々長居をしながら糸を紡いだり、編み物を教えてくれました。
この時、このおばあさんは、後の師匠となるkimti。そして、今のプロジェクトを一番に理解しサポートしてくれている親友になるAnita.を紹介してくれました。
あの頃は、FBに書くことも写真を撮ることもしていなかった様子。
ただ、彼らの隣に座って、糸を紡いで、靴下を編んで。山の暮らしを体感して、その厳しさと、美しさに圧倒されていたんだろうな。
インドの前には、アロマセラピー、植物療法、パーマカルチャー、オーガニックコミュニティーなどをテーマに、日本、オーストラリア、カナダ、東南アジア、様々な国をウーフなど長期滞在をしながら旅をし、また旅先で農業や水産業など季節労働をすることもありました。
日本での農業のバイトをした後に見た、他国の大規模農場の様子には驚きました。広大な森が切り開かれて、見渡す限りまで、同じ幅で、同じ作物が並んでいて、農薬の散布の仕方など実際の目で見て、工場みたいだな。。。と感じたのを覚えています。
最初の年は、この場所の本当の素晴らしさも、文化の深さも、知らなかったけれど、ただ何かに強く強く惹かれたのを覚えています。
羊飼いの暮らしが、ヒマラヤの大地が、こんなにたくさんの事を伝えてくれるとは想像もしていませんでした。
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初めての長編投稿に挑戦しています。
ゆっくり更新していきますので、よろしければ、続きも読んでくださいね。
May all beings be happy
LOVE and LIGHT from deep my heart...
想定外のコロナパンデミックの中で。。。後編
今回のロックダウンや、ヒーリングを通して感じた事、忘れたくないな。と思って書いています。
今の私にとって、大切な事です。
あの谷に着いた時も、まさかこんな未来が待っているなんて思いもしませんでした。
糸紡ぎも、織り物も、全然知らなかった。。。
たまたま、お友達に誘ってもらって、数日、温泉に入って、また次の場所に旅をしようと思っていただけでした。
今の自分の姿なんて、これっぽちも想像できませんでした。。。
雪のせいで、予定外に山の村に閉じ込められて、糸紡ぎを見よう見まねで始めたんです。
それから、6回も冬が来ました。。。
最初の3年は、人に見せたり、売ったりすることも考えず、ただ純粋な感動と、向上心で作っていて。
SNSでも発信もせず、こっそり、インドの山奥で自分のうち情熱と、あの山の雄大な自然と向き合っていたように思います。
4年目、初めて展示会を企画してから、発信者としての意識が表れてきました。
そして、作品への愛は、同時にエゴを生み出し、純粋な愛の形ではなくなっていくような気がする時もありました。
山の人達と関わるにつれて、彼らのしてきた暮らしを共にするにつれ。
近代化されて行く暮らし、消えていく文化や自然を、目の前に突き付けられるような気がしていたのです。
発表をせず、あの綺麗な世界の中だけにいる時は、すべてがハッピーでキラキラしているように思えたものです。
時ともに、だんだん、人に知ってもらいたい。喜んでもらいたいって気持ちとかが出てきて。
その輝きの裏には、影が。伴っていたのね。きっと。
光と闇は、対になっていると。良く言いますもんね。
目の前でクモがむしゃむしゃと蝶々を食べていたり、今いる宿では、一昨日、子犬が7匹生まれて、今は6匹しかいなかったり。。。
大自然の中には、人間界よりも、もっと強烈な光と闇が、瞬間、瞬間、今も輝いて流れていっていますね。
良い。とか、悪いとか。人の考えた価値観を押し付ける必要はないように。
光も闇も、ただの地球を、宇宙を形成している素材の一つだから。
私が自然でいられる時、自然と調和した時。
魂が地球と宇宙のエネルギーの間にただ存在していられる瞬間。
純粋な愛による意識を通してみたら、嫌悪も、恐れも、なくなって。
その状態で、息して、座っているだけで、地球に生きるたくさんの命とのつながりを感じてる。
エゴのない、命のきらめきの輪の中では、光と闇の境界線は泡のようです。
それは、インドの山の大自然が教えてくれた、感じさせてくれた事と同じです。
今まで、脳がたくさん余計な事を考えて、こういう現実になったらいいなとか。常に思考と生きてきました。
ーーーこれをしたら。ーーー いい人と思ってもらえるとか。みんなと仲良くできるとか。仕事が上手くいくとか。常に脳はいろんな情報をくれるのね。
でも、ここでいう ーーーこれをしたらーーー は、いろんな国の人によって、本当に違うと、このロックダウンの日々を通して思ったの。
日本にいる時は、暴力はいけない。とか、盗みはいけない。とか、売春はいけないとか。。。当たり前のことのように思っていたけれど。
他の国の人には、先進国の人であっても、その価値観に共感してもらえるかなんてわからないと。現実を通して感じたの。
基準なんてあやふや。。。自分で作った基準は自分にしか通じないのかもしれません。
価値観。。。そこにはいつも他者による視点や存在を含めて、自分の価値観と思っていること。に、気づいたの。
他の人と比べて、自分ができているなーと思うと、自分の事が肯定できたり。
また逆の場合は、他の人と比べて、自分を否定して、自分を責めてしまったり。
その基準は、いつも、自分の頭の中にあるルールだったりします。
森羅万象の中にある、命たちは、互いに依存(作用)しあって、命の輪を繋いでいます。
どの命が、特別に素晴らしいなんて思いませんね。
自然界では、それぞれの命が、脳で考えて意味づけをするでもなく、それぞれの命を全うするべく、生命活動を行っていますね。
そのすべての命が、繋がって、関わりあって、この大きな地球の呼吸の一部なんですね。
oneness...
森羅万象。。。
そして、私たちの命はその一部で、他の命と同じように、無限の輝きを持っている。
私たちも、本当は他の野生動物たちと同じように、自由に無限に人生をクリエーションできるのだと思いました。
春夏秋冬。4つの景色の写真を載せてみました。
山の村の暮らしは、いつも変わっていくけれど、それぞれに美しいように。
あの村で、太古から続く自然の営みが循環している、環境に住まわせていただいて。
織物を習得することは、一つのなくなっていく文化を目の前で見つめることでもある様に思います。
自然が失われて行くことも、見つめなくてはいけません。
この星への人類の破壊と、環境問題の深刻さには、とても胸がいたみます。
村の生活を知ってから、時々、東京に行って、日本で過ごして。。。
言葉には表せないくらい、近代社会の人の業と言うものを感じてしまって。
私には、もう見れない。私の心には収まりきらないと、何度も涙を流しました。
彼らは、ありのまま。。。光も闇もありのまま出してくれる。
野生の動物のような、美しい目と、存在に輝きが溢れてる。
外の世界の事も、近代文明もまっすぐ見つめて。
それでも心の中にある純粋な愛と共に、クリアな意識で、日々を過ごし行けたるようになったらいいなと思います。
とっても、とっても、難しいけど
今はその練習中です。
その様な心の状態で、モノを作ったり。モノを書いたり。
表現を続けていかせていただけたら、ありがたいことだと思っています。
もう一度、まっすぐに見つめる勇気や愛が湧いてきました。
いつもそう在れるような。。。未来がありますように。
一瞬、一瞬、あなたはあなたの、そのままの、ありのままの自分を輝かせていらしゃいますように。
わたしも、そう在れるよう思えた事にとても感謝しています。
こう思えているのも、私の智慧ではありません。
ヒーリングを最高のタイミングで受けれたことや、起こってきた、たくさんのご縁が重なっていると思います。
全てのご縁やつながりに感謝を込めて。
長くなりましたが、最後まで読んでいただいてありがとうございます。
今は想像すらできないような未来に繋がる今。
今、この瞬間。
母なる地球に愛され、たくさんの恵みと共にその一部として豊かでありますように。
父なる宇宙と共に、智慧と叡智と共に魂を輝かせて過ごされますように。
地球と宇宙の祝福を。
MutsumiUmi
ヒマラヤ水晶靈氣療法 を施していただきました。
::::::::前回のつづきです:::::::::
この、ロックダウンの最初の頃 ”ヒマラヤクリスタル靈氣ヒーリング”を施していただきました。
それを施してくださったのは、文(Aya)さんという方です。
彼女に初めてお会いしたのは、6年くらい前でしょうか。。。
ネパールで大震災が来た時に、今いるポカラでお会いしました。
ポカラの農村の奥、辺りの景色に同化した、かやぶき屋根の丸い石でできた家に20年以上住んでいる、日本人の女性に出会いました。
凛とした意志の強さと、子どものような輝きを放った、とても印象に残った方でした。
彼女が凄腕のヒーラーさんであることは、知っていたのですが、その時は、セッションは受けませんでした。
それから、数年。。。お互いに旅の身。。。
お会いすることは、できていなかったのですが、ネットなどを通じて、彼女の大きな愛と光を感じていました。
そして、旅の中で出会った友人からも彼女のヒーリングを機会があったら受けてみたらいいよ!と。勧められたりしていて、次にあったら、是非、お願いしようと思っていたのでした。
そして今回、ロックダウンのタイミングでヒーリングを受けることができました。
ヒマラヤ水晶靈氣療法というそうで、全ての人が持っている純粋固有振動数へクリアリングし、調和の大きな循環へ帰していきます。
文さんとのおしゃべりの感じだと。。。
私たち一人一人が持っている、御霊と言う輝きと繋がっている状態。というのでしょうか。
彼女が20年以上も毎日お祈りしている、村の聖なるご神木に許可を取り、その木の枝の下の木陰の土の上に身体を横たえて。
身体のエネルギーポイントの上に水晶を置いていきます。
足の先から、エネルギーポイントに沿って、クリスタルを実際に肌の上をなぞっていきます。
鍼灸の治療のように様にも感じました。
気が滞っている部分は、肌に触れていなくても、とっても痛く感じました。
でも、そのうちにとってもリラックスしてきて、意識が半覚せい状態になっていきました。
その状態の時に感じたのは、大きな木が守ってくれていて、その木に鳥が集まってきて鳴いていて。風が肌に触れる感じ、背中の下に大地のおうとつ。太陽の光。たくさんの小さな命の存在を感じていてとても心地が良くなった。
そして、身体は大地に同化するように、でも、解けることも無く。。。大地の上に存在していて。
その身体を、頭の上から下までとってもキラキラした、クリスタルみたいな清い川が流れていくような感じがしました。
セッションが終わってからも、身体の中に川が流れている、滞りのない清らかな流れを1週間以上感じていました。
そして、思考の停止した状態。その深い深い安心感に包まれていました。
地球と宇宙の大きな祝福が、光に包まれているような体験でした。
セッションが終わって、文さんは言いました。
私の身体の固有振動数をクリアリングして、自分の生まれてきたときの一番ピュアな状態に今あるので、その感覚で、毎日思いだせたらいいねと。
その状態で、日常生活を過ごしていくと、自分の意識も、起こる現実も変わってくるので、意識を持って、日常を過ごしてみてね。と。
その時は、想像もつかなかったけれど、その後の2か月が、とても濃密な時間になっています。
一度流れが通ったことで、どんどんクリアリングが進んでいくような感じもしました。
浄化が起こる時、それに反応して、意識は痛みや嫌悪で反応してしまいますが。
思考というものがどの位、自分自身にリミットを作ってしまっていたこと。
大人になる中で、反射的に考えてしまっていた思考の癖が、私の人生の現実として表していると深く痛感いたしました。
その中で、たくさんの執着の断捨離が大規模に行われていたように思います。
ヒーリングを施してくださった、彼女はネパールの村を拠点に、日本、ヨーロッパでも活躍され、多くの人に感銘を与えているようです。
彼女はジュエリーを作る時に、できるだけ、自分の意志が入らないように作っているとおっしゃっていました。
自宅にあるクリスタルや、生えている植物、生み出されたジュエリーも、とても輝いているのに、彼女のお宅に行くといつもうっとりしてしまいます。
石自身が、植物が、そこに存在していることを、とっても喜んでいるように、。
その土地の精霊からの祝福が溢れに溢れている!
それは、彼女が日々、心清く、祈りと共に、本当の愛を持って行ってきたことに、植物も動物も、水も石も風も火も反応しあってているように感じられたんです。
真理と繋がっている状態、思考を超えた、無垢の輝く状態で日々を生きる。
すべての御霊、魂は、とても光り輝く尊いものだと。
他者の存在によって、感じることができる、自己肯定ではなく。
彼女とのかかわりの中で、強く心に響いたのは。
自分という存在が、真実の意味でありのまま。でいられること。
ヒーリングの最中、直後は頭では何も考えてなくて、意識がクリアで、喜びに溢れている感じでした。
純粋な愛による行動。
その状態で、息して、座っているだけで、地球に生きるたくさんの命とのつながりの中に生かしていただいているような幸せ。がありました。
彼女の空間にいる植物が、本来の美しさを輝かせて、ただそこに咲いているように。
彼女のヒーリングも、すべての人が持つ、一番純粋な輝きの状態を、体感させていただいたように思います。
私自身は、ロックダウンという外に刺激を求められない状態で、自分の内側のエゴや欲の大きさにびっくりしました。
2か月たった今もです。
ayaさんのFBとインスタグラムのご紹介。
私は、彼女の生き方が現れている美しさだと思います。
https://www.facebook.com/aya.ginga
”ヒマラヤクリスタル靈氣ヒーリング” を施していただいてありがとうございます。
全てのつながりに感謝と愛をこめて。
長くなりますので、次回に続きます。
みなさまにたくさんの地球と宇宙の祝福がありますように。
読んでみていいなーーと思った方へ
あやさんの美しい文章を添付させていただきます。
ヒマラヤ水晶靈氣療法
水晶は ヒマラヤより採れた 美しい山の波動と 清め水 ヒマラヤの岩塩を使用しています。
靈氣を通して
すべての人が持っている
純粋固有振動数へ
クリアリングしてゆきます。
氣の流れは ひらき 流れ 浄化をはじめ
調和の大きな循環へ 帰してゆきます。
水晶靈氣をはじめ
今年で二十年になります。
すべての人々が 意識と意志を持ちて
地球を 浄化癒してゆきますよう
感謝と祈りを込めて。
純粋な心と光
Mutsumi umi Shibata
この時に 水晶靈氣療法を
施させていただき
心より 感謝を捧げます。
ヒマラヤ水晶靈氣療法士
千葉 文
Himalaya Crystal Reiki Healing
Clearing to Purification
Through pure frequency mountain crystals
combinations with Pure lineage of Reiki energy
Clearing to re - grid for return to
Pure signature birth frequency
Since 2000 Healer
has been 20 years of Healing experience.
May All people awareness to Gaia consciousness
We may heal the earth.
Gratitude for come to individual sessions.
To pure heart and light Mutsumi umi Shibata
sincerely thank you.
Himalayan Crystal Reiki healer AYA CHIBA
想定外のコロナパンデミックの中で。。。
皆様お元気ですか?
私はおかげさまで元気です。
きっと、みなさまもいろんな事があったのではないですか?
コロナウィルスの影響は、海外にいる私の予定にも大きく影響しています。
世界中のみんなが自分の予定に向けて動けないような状態になりましたね。
いろいろんな価値観が逆転するような。。。
そんな風に感じていた方もいらっしゃったのではないでしょうか?
私は、nepalのヒマラヤの中の湖のある町にいます。
こちらに、来た時は寒かったのに、春が過ぎて、雨季になりました。
思えば、インドビザの更新のため15日間の予定でnepalに来ました。
無事にインドビザが取得できた3日後くらいに、インドに日本人含む4か国の外国人が入国できなくなりました。
それから、ロックダウンが始まって、結局70日以上続きました。
未だにインドに入国できるめどはありません。
予定外!
想定外!!
ちょっと前に、あてのない旅に出たいな。
なんてBLOGに書いていた気がします。。。。。。
宇宙の導き。。。だったのかな?
調和のとれた最高の今なのだと信じております。
本当に、数年ぶりに、こんなに長くインドを離れています。
”インドは、インドの神様に呼ばれないと行けない。。。”
なんて。。。よく旅人の間でいいます。
今まで、本当にラッキーが重なって、ありがたいな。と。インドに長くいたのですが。
あの時は、インドじゃなかったのだな(笑)と思うんです。
でも、あの土地の神様とのつながりはまだ切れていないように思うので。
インドへの入国が、できるようになるまで待っています。
今回の影響で、この冬予定していた、展示会、参加予定だったイベントの中止に伴い、展示会の予定が未定になりました。
昨年度は、冬の展示会の為に、7月から必死で準備していましたので、この時期にインド入国のめどが立たないようですと、去年と同量の商品を作ることはできないでしょう。
予定がどんどん、未定になっていき、世界の動きも日々変化していく中で。。。
周りに羊もいないし、織り機、モノつくりの道具もほとんど持ってきていない状態で、旅の途中のこの場所に5か月以上留まっています。
自分という存在を誰も知らない場所で、70日以上のロックダウン経て。
何かが軽くなった気がします。
数年ぶりにインドの山の生活を離れて、それが必要だったのかもしれないと今は思います.
山の暮らしは本当に大変でした。水汲み、薪わり。
楽しくて、毎日がとても美しくて、おとぎ話みたいに感じていましたが。。。
今いる場所から、客観的にいろいろ思う事ができました。
今は、山のメンバーの中でも、まとめ役に秀でた方が、率先してくれて、チームワーク良く、紡いだ糸を編み手さんに回したり、してくれているようで、この騒動のおかげで私たちも、それぞれに考えて行動してくれています。
セーターができました。靴下ができました!○○さんが紡ぎ終わったみたいだから、その糸で次のを始めますね。という感じです。
さらには、紡ぐ人は、仕上がりの糸の太さ、編み棒の太さの号数。。。などなど。細かい部分まで、質問してくれています。
これも、想定外!
6年前には、全く想像もしていない未来に、今、いるような気がします。
今までに、出来上がった、セーターや靴下は、今までピッタリ似合う方と出会って旅だって行きましたので。。。
今、出来上がっている衣たちも、ピッタリの方に出会えると思っていますよ。
ウールの衣たちと、皆様の出会いの場に設けていた展示会でしたが、今年は、どうなるのでしょうね。。。
先の事考えるより、ただただ、みんなへの感謝と愛の気持ちです。
みんなに出会えた事に感謝しています。
私の方も、編み物で新しいデザインの物を作ったり。
物事が思うような速さで進まない分、今までの定番の型も、改めて見直してみたりしていました。
今は、先の事は何もはっきりわかりませんが。。。
インドのみんなも元気なようです。
全てが数か月前には予想さえしなかった、今、この状態で、不思議と安心感に包まれています。
今日も、2週間後にネパールから全ツーリストが、出国しなくてはいけなくなるかも。。。
なんて噂が町には飛び交っていて。。。
先の事は、全然わからないのですが。。。
周りの世界でどんなことが起ころうと、自分の心ある場所。
自分の魂の在り方が大切なのだと。
この日々で深く体感させていただきました。
ネパール側ですが同じヒマラヤ山脈の上。
国境という、人の作り上げた意識を外れれば、ここも、大好きなヒマラヤの一部。
ここでの人々の暮らしも、また、自然と繋がっていてとても美しいです。
起こるべきして起こっていることが、光も闇も見せてくれているようです。
この、ロックダウンの最初の頃、ポカラのこの村にお住いのAyaさん、という方に ”ヒマラヤクリスタル靈氣ヒーリング”を施していただきました。
そして、外に出られない最中、自分の内と深く向き合う、たくさんのガイダンスをくださいました。
その日から、日々の瞑想やヨガで感じること、繋がっているエネルギーのチャンネルが変わったいうような。
3か月たった今でも、そう感じています。
AyaさんのFB.
とても美しいです。
https://www.facebook.com/aya.ginga
長くなりますので、次回に続きますね。。。
次回は、ヒーリングの最中のお話し。
そして、ヒーリングを終えて感じた変化と今に続く予定です。
予定は未定って書いていたのに(笑)
最後まで読んでいただいてありがとうございます。
皆様に地球と宇宙の祝福がありますように。
LOVE and LIGHT