Bella Terra

美しい地球.... Beautiful Gaia

パンチャセへの旅


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パンチャセへの旅

ネパールでのロックダウンは7か月ほど続いていた。
バスも動いておらず、歩いていける範囲での行動に限られる生活が、何か月も、何か月もヒマラヤへの起点となるようなポカラというこの町で続いていた。
ネパールの雨季は長くて、ついに5か月ほど毎日雨は降りつづいた。
そして、ある時を境に、ぴたりと雨は降らなくなり、今度は晴れの日が続いていく。。。

ポカラの町からの景色も、雨季には雲の中に隠れていた、ヒマラヤの6000m超えの山並みが顔を見せてくれるようになった。。。

美しい。。。
街の景色の奥に、ぽっかり浮かぶ山並み。。。
青く青く澄んだ空と。。。
連なる山々。。。
空との境の、険しいピークの方には、雪がかかり。。。
その、青と白のコントラスト。。。
雨季の空けた、ここヒマラヤの空気は長く続いたロックダウンおかげもあり、ますます澄んでいた。。。

思い出すのは、インド側のヒマラヤ。。。
愛するみんなの待っている、あの谷の景色。。。

ある朝、瞑想を終え、外に出ると目の前にヒマラヤの大パノラマが広がっていた。
その日は何かが特別だった。。。
すべてを一回止めて、よし!山に今すぐ行こう。。。

とりあえず、バススタンドに向かい、ロックダウンの後、目指す山までのバスが動いているかを確かめた。。。
帰り道に、山へもっていく食料を買い集める。

今回目指すのは、パンチャセ。。。
その頂には、祈りの場が5か所あり、ヒマラヤの山からのエネルギーと繋がるというやま。
6年前、ネパールの大震災の直後にも訪れ、祈りをささげ、瞑想をした、その場所の記憶がよみがえってくる。

今は観光地化が進みかなり上の方まで、ジープがで上がれると言う話も聞いていた。。。
普通に歩いても、1泊2日という難しくないルート。

宿も食事も上の村で賄えるとの事でしたが、3日分の食料と、寝袋と、防寒着。。。
確か6年前の記憶では、使われなくなった古い石の家の残骸が残っていて、そこで野営をした後を何か所でも見たので、そんなところに泊まるかもしれないという可能性も含めて、自分の想うペースで、自分の心惹かれる場所に行き、人に頼ることなく、必ず無事に帰ってこれる。
そんな、意識を持って荷物を準備をしました。

あーーーやっと。やっと。。。山を歩ける。
この数年間、インド側のヒマラヤ。標高2700mの徒歩でしかたどり着けない村での暮らしをメインにしていた私にとって、山を歩くのは毎日の日課で。。。
そんな暮らしを心の底から愛おしいと思っていたのです。


山への旅は、基本的にいつも一人。
恐れはないのかと言ったらウソになる。
カナディアンロッキー、ヒマラヤも何か所も登った。山小屋のアルバイトも2シーズンした。
長い長い山での時間の中で、たくさんの人が帰らなかったことを知っている。
それは、ほんの一瞬。難しいルートでなくても、登山にたけた人でも、足の置き場が5cmずれてしまったというな。そんなことで、私たち人間の儚い儚い命は山に還ってしまう。
山の民との暮らしから、自然と身にしみついてきたともいえる、ヒマラヤの歩き方。。。
そして、ヒマラヤを愛する気持ちと共にバスに乗り込んだ。。。

バスはどうやら、登山道の下の町まで行くようだったけれど、6年前に通った道を行きたくて、みんなが進めてくれた終点を待たずに、途中でバスを降りた。。。
バスを降りた場所は6年前を思い出させて、記憶を頼りに山道に入ろうとすると。。。
村人たちが、そっちじゃない。バスの終点まで行きなさいと言う。。。
その道は、幅が広げられて、バイクが通れるようになってはいたけど。
でも、はっきりと記憶に残っているその道は、確かにパンチャセの頂上まで続いているはずなんだ。

その道をしばらく行くと、バイクに二人乗りしていたローカルの男の子が心配そうに声をかけてきた。

彼らの話によると、バス道路が伸びて、頂上近くまでも砂利道が伸び、今は、その新しい道をみんな使っていて、私の選んだルートは、すたれてしまったんだという。
頂上までの道を、まっすぐ登っていく新しい道と。
大きく迂回しながら、森を超えていくルート。
もう誰も通らないから、道も草にの中で見つけずらいし、野生のタイガーがいるし、雨季の最中にがけ崩れもしているし。。。
とにかく、危ないからやめておけという。。。

でも、行くんだよねーーーと言ったら、バイクでいけるところまで乗せていったあげると言ってくれた。
おろしてくれると言っていた山の村には、アシュラムがあるらしく、ババジとマタジがいるから、そこにも泊まれるかもよ。と言っていた。

バイクの後ろに載せてもらったけれど、かなり強引に彼らの住む村に誘われる。
ヒンディー語で、君の家には行かないし、私は頂上にお祈りに行くからと、はっきり強く言っても、相変わらず強引で。。。
nepal`では昨今、カタールや、サウジアラビア、日本、韓国へ出稼ぎに行く人がとても増えている。
この男の子たちも、カタールから帰ってきたてのようで、ネパールの山の人達の穏やかな雰囲気と言うより、出稼ぎに他国に行った人の特有の何とも言えない雰囲気がしていた。
山の村で育った青年たちは、身体能力に非常に長けている。
先進国で、お金のために、沢山働き。。。ヒマラヤの民の誇りある精神や、輝く瞳を何かと交換してしまった。。。
そんな話や、そんな人たちをたくさん見てきた。


最初に話していた、おろしてもらう予定だった村を通り過ぎているのに気がついて。
どこへ向かうのかと聞くと、自分の村へ向かっているという。。。
パンチャセにはいかずに、その人の家にオーガニックガーデンもあるし、ボランティアの外国人も昔きていたし、畑を手伝いながら、ゆっくりしていきなさいと言う。
非常に危険!!!
日本政府はかなり、ネパールの発展に協力していて、多額の寄付や人材の派遣もしてきているため、日本人と結婚したら、一生お金に家族全員が不自由しなくていいと、そんな妄想が常識のようになってしまっているネパール。
大きな声を出し!非常に怒ったふりをし、無理やり、バイクを降りる。
一人で歩いていくと、なんと!!!一人の男の子が歩いてついてきた。
半袖一枚、荷物も持っていないのに、危ないから一緒に頂上まで行くという。。。

どこに寝るの?と聞くと。私の荷物を見て一緒に寝るという。
何を食べるの?と聞くと。私の食べ物を一緒に食べるという。

タイガーよりも、何よりも。この子が非常に危険!!!
目つきや雰囲気、話していることが、穏やかではなくなってきている。
なんとしても、この男の子は私から離れたく無いようだけど、ここは、真剣に追い払わないといけないという場面。
棒を振り回して追い払おうも、めげずに一緒に行く。電話番号教えて。離れたくない。
挙句の果てには、愛の告白。。。

これは、本当にまずい。。。山の中で人もいないし。。。
もう、本気で逃げるしかない。。。
ずんずん歩く。ついてくる。。。ついてくる。。。

途中、ついに家を見つけて、その家の門をノックする。
ついてきていた青年は必死にここに行ってはいけない!僕と一緒に行こうという。

中にいる人を見て、ここが村人の言っていたアシュラムかもしれないと思った。
最初、コロナウィルスを警戒して、門を開けてもらえなかったが、事情を話し中にいれてもらった。
アシュラムで働く青年が、私についてきていた青年を探しに外に出るも、その青年は消えていた。。。

ほっとして、辺りを見回すと。。。
何とも美しい風景が広がっていた。
石や、木の素材を生かした美しい建造物。
花達も、それはそれは美しく、愛の溢れているお庭を蝶が舞っていた。
小鳥たちのためのエサ場の近くで鳥は歌い。
円形の土と石でできた建物を、地元の村の若者で、自然建造物やyoga、meditationに興味のある男の子たちを雇って、増築していた。


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そして、インドで生まれたババジ(ヒンドゥ―教の出家者で1年前に他界)と、30年近くをインドで過ごしたドイツ人で妻のアンジュ―のアシュラムはART of living そのもの。。。
ひと時前の、物々しい雰囲気から一気に、懐かしい、ヒマラヤとshiva神の信仰の場へ。。。
家の中の祭壇にはshivaとparvatiが座っていて、もう感無量。。。
マントラを唱え、無事にこの場所に導いていただけにとに感謝の気持ちが心の底から溢れて。
インドの村のみんなだったら、それは神のご加護だ!!!と、当たり前のように言うろだうな。
そして、私もあの土地で長い年月を過ごし当たり前のように...
shiva とparvatiと、この地に眠るババジのおかげだと、いつも守っていただいてありがとうございます。と感謝しかなかった。


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そう、インド側のヒマラヤ。私の住んでいた村では、山岳信仰とヒマラヤに座っていると言われる、shivaとparvatiの聖地。
そして、シーク教の聖地でもあり、大きなお寺と巡礼者用のお部屋(インドではそれもアシュラムと呼びます)や、巡礼者には食事を施すのが慣習で、お寺に食堂もあったり。。とにかく、ヒマラヤの中の巡礼地だったので、それはそれは、久しぶりにその雰囲気を感じられたことは、とても深い深い喜びを私にくれた。。。

仏教国で生まれ育ち、仏陀の教えも深く根付いているのだけれど。。。
自分の中の、ヒマラヤの山岳信仰を尊ぶ気持ちも深くあるのだという事に気が付いた。
とにかくヒマラヤの山並みとshivaを見ているだけで、心がまるで故郷に還ったような。。。
そして、実はいつもshivaもparvatiも私と一緒に、nepal側のヒマラヤで一緒にいてくださったような気がした。。。

アシュラムの主、アンジュも、私のインドでのライフスタイルやしてきたことを、すぐに理解してくださって、尊敬と愛をこめて迎えてくれた。
インドで人生を神に捧げ、ババジと共に信仰と共に生きてきた、マタジのアンジュとは、たくさんの事を言葉を超えた次元で理解しあえて、私たちはすぐに親友になった。

日が暮れるまで、私とアンジュはタイル貼りをして、男の子たちは丸い家を作っていた。
日が暮れてからは、男の子たちは外で火を焚いて、おかずを作り。家の中ではガスを使って、お米を焚いて。
火にあたり。。。それから音楽の時間が始まった。
みんなで、音を奏で、楽しく歌った。。。 実はこれもヒンドゥー教のカルチャーの一つで音楽をとても大切にしている。

そして、私は糸を紡いだ。。。
アンジュは、私のしている事をこの若者たちに伝えてほしい。そして、若者たちに聞いてほしい。言ってくれた。
そして、himalayaの山の中のアシュラムで、日本人の私が、ヒンディー語でゆっくりと彼らに伝えた。。。


私は、インド側のヒマラヤで、羊飼いと共に暮らし、羊毛を刈って、氷河からの渓流と火の力で洗って。太陽と風の力で乾かして。
糸車ではなく、もっと古い方法で糸を紡いで、木の織り機で織って、それで今、着ているこの服を作ったの。。。
でも、これは、貴方たちのおじいさん、おばあさんの時代までは、Himalaya中。どこでもしていたでしょ。
今はもう、みんな、外国に出稼ぎに行ってお金を作ることばかり考えてしまっているけど。。。
私は、ヒマラヤの民がどれだけ賢いか知っているよ。
風、水、土、火、空。。。そのエネルギーと、人の足と手を使い、美しく、暮らしてきたのを知ってるよ。
宇宙(shiva)と地球(parvati)と、調和して生きる力強いことを知っているよ。。。

このままでは、このカルチャーは無くなっていってしまうのも分かってるよね。。。
でも、私は、ヒマラヤの山の民は本当に素晴らしいと思いますよ。
私は、ヒマラヤの羊飼いと共に、糸を紡ぎたいと思います。
nepalとか indiaとか、国境なんて人間があとから作ったことでしょ。
インド側のヒマラヤだって、ここネパール側のヒマラヤだって、関係ないよ。
私は、ヒマラヤの伝統の糸を紡げて幸せだよ。


そこにいたネパール人の若者みんなが、真剣に、誇らしげに、私の話を聞いてくれていた。
ヒマラヤの夜は、火を囲み、音を奏で、たくさんの希望や夢を若者たちと語り、ヒマラヤの風が心を撫でていくような。。。
そんな一日目は、祭壇の隣に寝袋に入ってとても快適に休ませていただきました。

OM NAMAH SHIVAYA...


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そう、変わりゆくこのヒマラヤで、村の若者たちと、先人からの教えを共有できたことがとても嬉しかった。
私は、昨年、日本で展示会をして、正直、日本の社会も感じながら、その一部でもありながら、ヒマラヤの民が変わっていくのを、自分に見届けることができるかわからなくなっていた。
確実に、私のやっていることは、もうすぐになくなってしまう。。。
すでに、今、この瞬間。。。6年間、あの谷で真剣に、羊と向き合ってきたけれど。
私と同じやり方で、糸を紡ごうとする人は、敬愛する長老のおばあさん一人しか見た事がない。
羊毛を刈ったところから、一番一番古い方法で糸を紡いでいる人は、もう本当に少ししかいない。。。
その現実を村の中に入って見つめるのが、重たくて、苦しくて、私一人には、見届けることなんかできない。
目を背けて、楽しいレベルで、やっていった方が、お金も入るだろうし、有名にもなるだろうと思ったり、そんな葛藤があった。。。

この、ロックダウンの間、徹底的に自分と向き合って、自分の古い肉をそいでいくような。。。
要らない、思考や思い出とサヨナラをしていた。その最中は痛かった。。。
本当に血が出ているのかと思ったよ。
人生まだ半分以上あるのなら、今ここで、本気で変わらないと。
糸紡ぎを続けるにしても、辞めるにしても。。。とにかく、向き合うしか方法が思いつかなった。。。
その過程で、出来上がってくる作品も、どんどん変わっていった。。。
あの谷には、人間界のの事情で帰れないけれど。。。
私は、同じヒマラヤで、糸を紡ぎ、人類とすべての生き物の平和と調和を心から祈っているよ。
あの谷での暮らしのなかで、たくさんの種を、私の中に蒔いていただいたんだ。
その種は、国境とか人間界の事情なんか、全然関係なく、私の中にしっかり根を張って、私の一部となってすくすく育っています。
ヒマラヤの種は、一見、厳しくて、土壌に汚れがあると、その汚れを浄化しようとするんだね。
痛かったけど、、、その種がすくすく育てるように、土壌をよくするように、自分の内を耕して、石やいらないものを取り除いていた感じ。
そう、私の中のヒマラヤの種をしっかり感じた夜だった。。。

旅も、山登りも慎重に。。。
慣れているつもりが災いして、時に、危険な目にあってしまうものです。
あーなんて濃密な一日目だったんだ。
危険や無茶はしないようにしようと思ったのでした。
みなさんも、絶対に無理はしないでください。私もしません。
必ず生きて日本に帰ります。


うん。
今、作っているもの、本当に好きです。
どんどん、純粋に自然への愛と感謝を表現できるようになっている気がします。
どんどん純粋に、宇宙とのつながりに調和と感謝をささげることができるようになっています。

糸を紡ぎ始めたのも、あの谷に住み着き始めたのも、すべては予定外で、私の意志や願望ではなかった。
導きによって、今では、私の中にヒマラヤの山の民の智慧も行動も刷り込まれているのをこの後の旅でも感じることになります。。。

さて、まだまだ山旅1日目。
パソコンもウィルスにかかって使えなくて。。。
ゆっくり更新していくよ。。。

最後まで読んでいただいて、本当にありがとうございます。
心からの愛をHIMALAYAより。

2日目も楽しみにしていてね。

すべての幸運に感謝を込めて。。。