山のみんなとの今の関わり方。。。
ネパールにいても、インドの山のみんなとの交流は日々続いて更新されています。
連絡頻度は、週に数回、電話でいろいろお話ししています。
2,3日に一回電話していても、彼らも空港はまだまだ空かないとわかっていても。まだ帰ってこないの?Nepalから歩いて帰ってこれないの?と、毎回、おなじみのやり取りをして(笑) 早く帰っておいでよーーー。って言ってくれる。
先日は。。。
山の麓の郵便局に半年前に日本から送った荷物が、この騒動で、やっと届いたようで。
たぶん、あの日本人のだろう。。。
でも、最近見ないぞ!
あの日本人の仲のいい村人に電話するように言ってみよう!
という事で。
FBメッセンジャーで、村の友人でもありsisterと呼び合う”teji”から電話が来たと思ったら、本人ではなくて
郵便局員さんが画面越しにNamaste!!!って笑っていました。
村の人の満面の笑みと言ったら。
もう、そんな瞬間。。。
こちらも自然と笑顔こぼれて Namaste!!! と元気に返していました。
郵便局の方に、荷物を、また違うお友達”Gita”さんの家に届けてもらうようにお願いをして、電話を切りました。
次の朝。。。
”Gita"さんの家に届いた荷物を、ビデオコールしながら開けもらって、中身の確認を一緒にしたら、空けられた形跡もありませんでした。
気になる中身は。。。
日本の友人で、モリモリというトレイルランをしているお友達が、使わないけれど状態のいい、高機能のマウンテンウェアを、山のみんなにプレゼントしてくれました。”Gita”さんの旦那さんに一枚。 数ある中から一枚選んで。日本製のいいやつだから3年は着れるね。俺は物持ちがいいんだよ。と、喜んでくれました。
逗子でオーガニックフェアトレードショップをされていた歌手のゆうこさん。から預かった、外国の色どり美しい毛糸たち。数年前に編み物が大好きだったお母様がご病気で他界されました。お母様が残された、毛糸や編み棒を譲っていただ毛糸たちです。
電話越しの”Gita"さんの娘さん達に、靴下一枚ずつお母さんに編んでもらおうか?と、言うと、色とりどりの山奥では手に入らないような毛糸を、にこにこ、にこにこ、姉妹で話し合ったりしながら選んでいました。
生前、お母様の編まれた美しいショールが、ゆうこさんのお店に飾ってあったことを思い出します。ゆうこさんのお母様も、とても慈愛にあふれているかたでした。異国の山のおばあちゃんと、編みものしたいな。と、想われていたそうです。
お母様の魂が天にお帰りになられてから、少し時間が経ってしまいましたが、私がいなくても、天に近いあの場所にきっと見守りに来て一緒に楽しんでいてくださっていたよらいいな。と想います。
それから、みんなへのお土産の、お洋服や、バッグや、ちょっとしたキラキラしたものなんかがいっぱい。
”Gita"さんのお土産も受け取ってもらって、にこにこしていました。
最後に、刃物のお手入れセット。革やすりと研磨剤を2種類。
山の暮らしには刃物がつきものですが、石の上で研いでいたので、博識のお友達に教えていただいて、石油原料ではないというお勧めの研磨剤。
それを見た”Gita"さん。うちのナタも研いでねーーー。と嬉しそう。
これも、マウンテンウェアをくれたモリモリとこずちゃんご夫婦からのプレゼント。
この荷物も、実は日本を出発する日までにネットで注文していた荷物が届かなくて、こずちゃんが送ってくれました。
ほとんどが、お土産と毛糸だった、今回の荷物。
本当に届くのか?今の子の状況では、国際郵便は場所によっては、止まっているし。
どうなるのだろと思っていましたが。荷物を送っていないし、受け取ってもいないし、でも、無事についてくれて。
何かがゆっくりと進んでいる感じがありがたいです。
山のみんなは、日本のみんなが靴下喜んでくれたかな?とか。自分の作ったものがちゃんと売れたかなど。。。実は、気になっているみたいで。 本当に喜んでくださっていたよ。ちゃんと買ってもらえたよ!と言うと、嬉しそうに笑う。照れる。
展示会のチラシを、大切に家の壁に飾ったりする人が続出したり。。。
そして、毎回、私の師匠は帰るたびに涙するほど喜んでくれる。
この騒動の最中も、私がnepalから帰ってこないから。。。
死んじゃったらどうしよう。。。って、心配し過ぎていたよ。と報告がありました。
山のみんなだって、外の世界は近代化していっているのは知っています。
昭和のように、村に数台あるテレビを、チャンネルごとに違う家に集まっては見ているような暮らしだけど、5Gの電波が、今やエベレスト山頂まで届いているような時代。この山でも数年前に4Gが使えるようになりました。
それを知って、もちろん、大きく変わってきているのだけれど、自分達の暮らしに誇りを持ち生きる姿は、ヒマラヤの守り人のよう。
まっすぐな地につながった姿は美しい。
それでも、日本の人達がどれだけ目を輝かせて、靴下を選んでいたか。などお話しすると、本当に本当に嬉しそうだったり、得意げだったり、誇らしそうだったり。
とても愛おしい人達です。
nepalに来る前に、紡ぎ終わっていた4kgほどの毛糸を編み手さん、織り手さん達に、原毛10kgを糸紡ぎをしていただけるよう紡ぎ手さん達にお渡していました。
いました。総勢10人以上の方にお願いしています。高齢の方が多いので電話を持っていない人が多いのです。
家庭内、親せき間で、作業を分担して羊毛を洗う所から、糸を紡ぎ、織り、編んでいくという作業を行っていく、また、作物も家族みんなで育てて、得られた現金も、家長の采配で運用されていくという暮らしがほとんどと言える文化の場所です。
”Teji"のお母さんは羊飼いで、羊毛も分けていただいてますし、糸も紡いでくださってます。 お母さんが3kg糸紡ぎ終わったよー。私、ショール織ってもいいかしら?もう1㎏は妹の”sunny"に、織ってもらう??? もうこれまでに、何枚もショールを織ってくれている”Teji"と”sunny"。行動力もあって、体力も人一倍、人が大好きな"teji".と、牛も、数頭飼っていてギー作りや、織物。家事が得意な"sami"。さらに、もう一人の姉妹"pabna"は、ウールを洗ったり、干すのを手伝ってくれたり。紡ぐまでの過程のプロフェショナル。
羊飼いのお母さんと娘さん達3人の連携は、何代も、幼いころから、こうして暮らしてきた来たのであろう、日々の生き方、村の暮らし。
またほかのエリアには、まとめ役に適した”Anita"という女性がいます。
”anita”は、私がこの谷にやってきたとき、編み物を教えてくれて、以来、深い交流が続いている。彼女は、今回、二人の紡ぎ手さんを取り持ち、それぞれ、靴下用の紡ぎ方を何キロ、セーター用の糸は3着分。など細かい指示まで出し、彼女を含めた3人の編み手さんに届くようにまでしてくれました。
こちらのメンバーは、私の師匠達を含む、編み物精鋭チーム。すべてのメンバーと一緒に暮らし、共に作業をしてきた方々。
バスも自家用車も完全に封鎖されていた状況下、病院に行くため移動するパスをもらった親族に毛糸を運んでもらって、60kmも離れた場所まで糸を届けるという。壮大な!計画まで実行してくれていました。後から、電話で報告をしてくれた時には、驚きと、感謝、もう非常に感動しました。
こちらも、家族の連携の力を改めて感じました。
”Anita"の旦那さんのお仕事は、個人経営のインド式の結婚式屋さんだったので、ロックダウンのせいで結婚式はできなくなってしまったので、急遽、家族でテイクアウトの軽食を販売するようになったようで。インドも経済への影響が深刻な様子。そんな中で私の仕事まで手伝ってくれているので、身体無理しないで。旦那さんの仕事が落ち着くまで休んでもいいよ。と言ったら。
きっぱりと、私は楽しんでるし、続けたい。わたしはhappyよ。と、電話越しに言ってくれて。
とても嬉しかったです。
そして、今、この瞬間、日本の友人。さだ君、きいこちゃん、ぼんちゃん、てるちゃんの定岡さん家族と、ゆうや君の5人が、私がnepalのこの村から動けなくなってしまったように、インドの私が通っている村から、日本に帰れなくなってしまい、先ほども登場した、”Teji"さんのお宅に滞在しています。
偶然5人とも、旅の中で出会っていて、それぞれ、印象に残るステキな人達でした。
時々"teji"から、村の様子の報告の連絡が来るのですが。こういう時の頼もしさには、尊敬しかありません。
彼らが滞在し始める時も、友達がその辺りにいるみたい。と、nepalから連絡したら、ちゃんと面倒みるから、大丈夫だから。と、いつも笑顔と威勢のいい声で答えてくれます。
一番最初の写真の”Gita"さんのお宅には、ヒマラヤ源泉かけ流しの個室の温泉がありまして。
日本人の家族の方、子供たちもいるし、こんな騒ぎに巻き込まれて、大変でしょーーー温泉使ってもらっていいのに、遠慮してる感じがするから、Umi(私はこう呼ばれています。)から、日本人のお友達に遠慮しないで、いつでもくるように電話で伝えてね。
と、連絡がきました。
本当に、その前に定岡ファミリーと連絡を取った時に、お風呂使わせていただいてるんだけれど、お金も取ってくれないし、申し訳なくて。。。と確かに言っていました。
いつでも、だれにでも、そういう訳とは、いかない様に思うのですが。
彼の人柄、心が村の人に伝わっていって、みんなに愛されているのが想像できます。
自分達だって、コロナで今年は大変だ。どうしよう。どうしよう。と言っているのに。
国籍とか超えて、旅人も全部抱え込んで、ヒマラヤの一部。にひっくるめちゃうような。
そんな、おっきなおっきな安心感が村の暮らしにはあります。
山の厳しい暮らしを生き抜いてきた彼らは、厳しい部分は非常に厳しいのですが。
この騒動のなかでも、本当に逞しく、心豊かで。大きな愛もそのままで。
今日も、ヒマラヤのどこかの平原を、村の羊飼いのお父さんが羊が歩いていています。
今、私はいないけれど。。今も地球の上のどこかで、あの谷でみんなが豊かに暮らしていてくれること。それが、とても嬉しい。
離れてみて、日常の中にいると、気が付かなかなかったのですが、改めて感謝の気持ちが湧いてきます。
きっと、改めて、家族や身近にいる人の大切さを想ったりされている方も多いのではないでしょうか?
”teji”の娘のlaxumiは、村に3年に一度、神様がやってくる、特別なお祭りの日の写真を、さだに撮ってもらったよーと、私にメールしてきてくれました。
山岳信仰を大切にする彼らは、村中すべての家のペンキを塗り替えて、神様をお迎えします。
日本のお友達からのプレゼントがお山に到着したり。
山のお友達も、日本人のお友達を大切にしてくれたり。
私がいなくても作業を勧めてくれていたり。
今この瞬間も、目には見えないけれど、愛や想いは繋がって、世界を循環していっているんですね。
私にお気持ちを託してくださる方からの贈り物も、お届けさせていただいて。
喜びだけじゃなくて、遠い日本と言う国の、誰かと繋がっている。
日本の方が思ってくれた気持ち、山のみんなに伝わっている気がします。
言葉にするようにうまくできていないと思います。
私は、糸紡ぎも、羊飼いも、山の暮らしも、みんなの事もますます大好きです。
今、あの谷の暮らしが美しいと思えていることに感謝をしています。
この地球が、幸せで健やかで、私たちを、育んでくださっていることに感謝します。
みなさまが、健やかに、幸せで地球と宇宙の祝福と共にある、今、この瞬間に。
ありがとうございます。
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最後に、文中に出てきた、さだ君はとても素晴らしい文章を書かれています。さらに、明晰に優しさとユーモアをもって、山での日々や写真をFBに載せています。
そう、まさに、それが表現したかったんです。という事を、さっらと、スマートに、そして、彼の優しい性格が前面に出ていて、とてもお勧めです。もう、数冊本も書かれています。
FBに日々の事を綴ってらっしゃいますので、ご紹介させいただきます。