Bella Terra

美しい地球.... Beautiful Gaia

昔の記憶をさかのぼって

予想外の長期滞在のNepal...

日本もこちらからは想像もつかない事態になっている様子に想いを寄せております。

みなさまが、心豊かにこの瞬間もお過ごしでありますように。

 

こちらも、いつこの封鎖が終わるのか?

いつ国境が開くのか?

外国人は一度、自国に戻って、ワクチンの接種を受けなければ今後は入国できないのでは?

など、何が本当かわからない情報が飛び交う中。。。

本当にインドに戻れるのか???

これから先は、今までのように、インドを拠点にしては暮らしていけなくなるのでは?

など、最後のには人生の見直しの時期なのか?

と飛躍していたり。

いやいや、目の前の水や、木や、新緑、鳥の声は現実で、今日も太陽の下で幸せだな。なんて思ったりもした、この満月。

 

これから先はどうなるのかわからないけれど。

今日も、穏やかなこの村は、窓の外の石畳道をバッファローの子供たちが行き来し、その手前の畑を、村の人が耕している。

 

世のなかの流れが大きく変わりそうですが、

自分なりに心地よい流れの筋を乗っていこう。

 

目の前の、畑のトウモロコシが、日ごと大きく育っていくのを感じ、時は同じ速さで流れていくのに気づく。

この封鎖が始まって、nepalの暮らしは、本当にのどかで平穏で。

時が止まってしまったかのように、不思議な時間を過ごしている。

 

編み物をたくさんしていたけれど、`wifi付きの家に移動して、今までの写真などの整理を始めたり。

今まで、ずっとやろうやろうと思っていた。。。(笑)

活動をわかりやすく、文字にまとめていく作業などに入ろうと思ったり。

 

本当はあの村で、春を楽しみたくて、いろいろ準備していたのに。

作業も、織りかけの織物もあったし。

とにかく今年は、どっぷりあの村にいようと思って、5年ビザがもらえた、数日後からこの封鎖は始まった。。。

 

私の中にある、この情熱。。。

 

FBの過去の自分の投稿を、改めて読み返してみたりしていていました。

こちらに、2018年7月の投稿を転載させていただきます。

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27.july.2018


今日は心を込めて今の気持ちを、感謝の気持ちと共に投稿させていただきます。今まで出会えたすべてのみなさま。本当にありがとうございます。
2008年初めてバックパックを購入し、いろんな場所を訪ね歩きました。それまではアロマセラピストとして普通にお仕事をしていました。
日本の旅で一番大きな学びだったのは、季節労働だと思います。

日本最南端の島でサトウキビを刈ったり、最北端の島では昆布のお仕事をしたりしました。

今まで当たり前に購入していた食べ物を作っていてくれる人がいたという当たり前のことに気が付きました。

そして、一番上等な味がするものは、機械で大量生産したものじゃなくて、人の手で丁寧作られたもの。そして、無農薬などこだわって作られたものは本当に身体が喜ぶ、元気になる、そして、とっても美味しい?と、体感を通して知りました。
日本の旅では、他にもお祭りを回ったり、いろんな秘境でキャンプ暮らしをしたり、ウーフをしながら自然農とかパーマカルチャー、ヨーガとかマクロビオティックなど、まずは日本学ばせてもらい、本当にすてきなお友達、先輩に出会い、私の中身がどんどん変わって、見える世界もどんどん変わっていきました。

その頃出会ったお友達とは最近会えない方ばかりですが、今もいろんな人の事思い出して、物思いに耽ったりしています。ありがとう◎

そして、初めての海外の旅のきっかけは。2011年3月11日。東日本大震災。1っか月後にはカナダに。素晴らしい出会いに恵まれティピに住み、自然と共に生きる暮らし、地球と自分を尊敬する暮らしを実践している村に長期滞在することができました。この時、いろいろご縁の中でしばらく日本とは疎遠になりそうな気がしたのでした。
それから、ネパール、タイなどアジアを旅して、それはそれは、刺激的で!ゆったりしていてステキだなと思う日もあれば、なんてこった!と思う日もあり、旅は面白い♪と、あてのない旅の中。 
そして2012年から2年間のオーストラリア!日食とパーマカルチャーやオーガニックフードのお勉強、マッサージ。やりたいこといっぱいできた充実の2年間。

バブルのオーストラリアでは、経済主義の波の中、地球、自然を大切にしていく流れと両極を感じていました。

超大規模農場などは機械化が進み、畑というより、お野菜工場に見えました。

この時のオーストラリアは本当に個性豊かな方が多くて、忘れられない2年間。ステキなご縁とたくさんいい影響をもらいました。ありがとう◎
そして、オーストラリアの2年のビザが終わり、運命のインドへ。そこでヒマラヤで暮らす山岳民族の方に出会ってしまうのです。

 

私は、今、インドのヒマーチャルプラディシュの人口100人も満たない山奥にいます。羊は350頭くらいかな!?
初めて、この地域を訪れたのは2014年。。。ここにあったのは、近代化されていない暮らし。雪の中の凍てつく山に暮らす人々。水道管は凍りつき、電線は雪で倒れ50k範囲で3,4週間停電、ガスは無い家が多く、まきで料理。
広場で日光浴をしながら糸紡ぎ紡いだり、織物をする人達を見かけて、もう心がときめいて、言葉も通じないのに、情熱だけでなんとか紡ぎを始めました。ここの暮らしって凄いって時を重ねるごとに思うのです。
1933年のフィルムを見たのですが、普段着、農作業、羊飼い、民族衣装、暮らしの様子が今と変わっていないのです。
なんてこった!!21世紀のこの世。私が旅してきた国で学ぼうと思っていた自給自足。自然と共に共存する持続可能な暮らしを、持続している人達が、目の前にいらっしゃった。

どれほどの時間あなたたちは同じ暮らしをしてきたのですか?
何世紀?何世代?あなたたちは技を受け継いできたのですか?
村の人達は、ほとんどが字の読み書きができません。
でも、ここの植物をよく知っています。木を知っています。動物を知っています。地形を知っています。天気を知っています。自然と生きることをよーく知っています。心からリスペクト。

紡ぎ始めて4年。自分でもどんな方向に行くのか決めに決めかねていました。。。なぜか当初から3年は続けよう。誰かの為じゃなく、発表するより、自分でひっそり、こっそりやりたいようにとことんやってみよう!それでやめるもよし!3年見てみよう!なんて、実は自分と約束していたりもしました。へへへ。

昨年4月に日本からインドに来た時、こんなに長くいるなんて思ってもいませんでした。
織物学んで、いろいろ買い付けて日本に帰ろうなんて思っていたのです。

2017年春。村々から村へ、何10kも歩きながら、お土産を配りつつ、原毛4キロほどを買い付けた。

インドって不思議な場所です。
ババジがいたり。ヨーギがいたり。瞑想の達人がいたり。乞食がいたり。牛がいたり。。。
インドという穏やかで強い河に、モノつくりを通して沈んでいくようでした。
お金の事はとりあえず置いといて。。。
私のしたいことをせっかくだからやってみよう。。。

“私は自分の着衣を一から作りたい”

そう決めたのは夏の事。
ホームステイしていた家族の牛3匹と羊1匹の世話を毎日手伝うことにしました。羊の名前はベドゥー。飼い主の名前はキムティー。
毎日キムティーとお世話しました。エサやり、水やり、うんこの掃除。
季節ごとの仕事。干し草の種をまき、草刈り、干し草を作り。ベドゥーの好物の木が山のどこにあるのかもわかってきました。
ふわふわの毛が伸びてくる様子。くりくりの目。とぼけた感じのおおらかな性格。
あーなんて愛おしい生き物なんでしょう。
時は流れて11月。毛刈り日が来ました。
刈り取りもキムティーと二人で。
雪の降る季節が来る前に、洗いの作業は自分一人でしました。
それから、紡ぐ前の段階。。。通常は機械がけをするのですが。。。
今はもう誰もやっていない、古い古いやり方に挑戦することにしました。
私は、自分の服を1から作るって決めたんだ。
道具を持っている人もいなくて、何とか探してもらえた。
作業はやっぱり大変すぎで。どれだけ時間がかかったか。
かわいい、ベドゥーの毛じゃなかったら、途中であきらめてたよ。。。
でも、この作業が終わったころ、紡ぐのは本当に上手くなった。
私より早い人はいるけど、糸のきれいさは最高レベルってローカルもみんな言ってくれている。
そして、ごわごわ原毛でも、どんな感じに仕上がるとか、原毛を触った感触で想像できるようになった。
ありがとう◎ベドゥー あなたのおかげで羊という生き物を本当に愛することができたよ。
あと、5年、10年遅かったら、道具は見つかってなかったかも。
挑戦できて良かった。でも、もうしばらくはやらないけどね?

そんなこんなであっという間に、冬が来た。

ここの冬は本当に寒い。
帽子、靴下、レッグウォーマー、手袋、自分の紡いだ糸で手編みした。
毛布もフェルトで手作り。
去年は、冬物全然買わなかったけれど、寒い寒いこの地の冬を乗り切ることができた。
そして、ついに一枚目の織物が織り終わった。

特に極寒地では冬服は化学繊維が主流だけど、本物のウールは蒸れないし、濡れても寒さを感じない。素晴らしい素材です。

ビザが切れたのでネパールに行き、戻ってきたら冬の終わりの春の始まり。去年買った5kg原毛は何かに姿を変えていた。

その頃、なかなか思うような住まいが見つからなかったり。インド特有の人間関係のごたごたに巻き込まれ、精神崩壊寸前だったと思う。時にインドは非常に厳しい。山の暮らしはもっと厳しい。

自分に自信がくなって、人が怖くて笑うことすらできなくなった。
今まで、旅をずっとしてきた。とっても楽しかった。
でも、やりたいことができたから、ここにいる。
私の周りにツーリストはいない。
インド人とご近所付き合い。。。
なんてこった。。。なんの修行だ。。もうむちゃくちゃだ。
私はただ、織物がしたいだけ。。。
人間関係の修行に来たんじゃないのに。。。。

でも、去年紡いで、織っていない糸があったから、必死に歯を食いしばった。
そして、この前FBに投稿した3枚目の布を織りあげた。
あの時、本当に自分に自信がなくて、一人こっそりで泣いてばっかりいた。
たくさんたくさんメールやコメントいただいて。いいね!してもらって実はすごく励みになりました。でも、疲れ切っていたから、返信もうまくできなかったりしたりしました。。。
ごめんなさい。

2018年、春から夏。
今年の原毛探し。いろんな村を捜し歩く。
ベドゥーの毛を紡いで、私の手はグルメになってしまった。
5件も羊飼いの家を回るも買えなくて。。。途方に暮れる。
人間関係も行き詰っていたし、もう場所替えする決心。
あと1か月だけ頑張ることにした。
私のいる村には2家族羊飼いがいる。
灯台下暗し。。。いい原毛、希少な色を毛を譲ってくれた。そして、もうちょっと粘っていたら、なんと!じいちゃん!自分のジャケット様にしまっていた原毛をだしてくれた。
その色は、本当に希少で、ジャケットまで仕立てるとローカルの間で非常に高値売買される。
興奮しすぎて9kgも買ってしまった。
ありがとう◎じいちゃん最高の品質だよ。

でも不安だった。なかなか落ち着く家も見当たらないし。。。そんなに原毛,買ってしまってどうしようって。。。

次の日からこの家族の方の家に住むことになる事はその時は知らかった。

その2日後、リシケシでオカエリという日本食料理店を営むお友達と、この谷の奥の奥。。。標高4116m、マンタライというシヴァ神聖地巡礼のトレッキングに行くことになる。全行程114km、ポーターとガイドさんと共に。。。
神様にお祈りをして、その時はそれ程何も感じなかったけれど。。。笑!その後の流れはやっぱり神様の祝福だったのかもしれない。
そこは、羊の聖地でもあり、この地域の羊飼いは夏の間その高地に遊牧に行く。森林限界を超えたヒマラヤ高地で遊牧上質な草を食べ、健康な羊たち。だからこの土地羊毛は質がいい。

山から帰ってきて、雨季が来た。
今回はもうすぐ雨季が来るのでそれまでに原毛を洗わなくてはいけなかったので、洗いは信頼できる地元の方にお願いておいた。機械がけも思わぬ配慮でその方がやってくださった。

始めてきた年から、紡ぎや編み物を教えていただきながら、この人は!と思う方にはすこーしのお仕事はお願いしていた。この地域では現金収入を得ることはは女性には難しい。

そして、そのおばあちゃん達が私が大量のウールを担いで、これどうしよう。。。?と言ったら紡いであげるよ。といってくれた。
紡ぐのは大変な仕事だし、お金を出してもやってくれない。
でも、何人かの人がやってくれるといってくれた。みんな今まで私に紡ぎを教えてくれていたマスターレベルの方たちだ。
95歳のばあちゃんは、紡ぎに関してはマスターというか、現役のエースであり仙人な笑顔のステキなおちゃめな人だ。

なんと、もう、こちらで出会った方にオーダーをいただいたので、編み物のとっても上手な方に紡いでもらった糸を持っていく。
編み手のエースは家から4時間離れた場所に住んでいる。
朝、紡いでもらった糸を取りに行く。。。
それは、毎日ベドゥーの世話を一緒にした、キムティーさんの家。
手違いで、かなり遠くの村に紡いだ糸が行ってしまったから、夜中の2時まで紡いだから、これ持って行って、と、眠そうな顔をして私に大きなハグをしてくれた。

この時、私は気が付いた。
私には仲間がいっるて。
このインドで人を信じることは難しい。
でも、本当に少しだけど信じられる人達がいる。

今まで、本気で販売をしてこなかったのは、やっぱり日本クオリティーに合わせていくのは、工房でもない、この山の人には無理かな。。。と思ったから。

長い人は4年、私と一緒にモノつくりをしていて、今なら、妥協なく日本で皆さんに見ていただける。って確信しました。

長いこと山の中で地味にひっそりやってきました。
私の目利きも、原毛の買付力もついてきました。
紡ぎ手も、編み手も、織り手も一流です。
学校で習ったわけじゃないけど、お母さんも、おばあちゃんも、ひいおばあちゃんも、みんなやってきたことだから。と笑いながら言う彼女たち。

こんな人たちがこの世に、ヒマラヤの山の奥にひっそりと暮らしていること、みなさんに知っていただきたい。
あと、1か月だけ頑張ろうなんて言ってしまったけど、この冬もここでみんなとモノづくりしたいって思いました。

名前を付けるとブランドっぽくなるけど、ためらっていたけれど、名前を付けることに、ある時っスッと抵抗がなくなって。。。今なら言えます。

お店の名前はみんなに相談して

“Parvati“

がいい。ということになりました。
どうぞ、皆様、応援よろしくお願いいたします。
10月頃までこちらで作業をして、日本に帰ります。
でも、まだ売り物はほとんどございません。
とても貴重な作品が出来上がることと確信しております。展示と発表会が今の目標です。
もし見てみたいと思ってくださる方がいらっしゃいましたら、ぜひお声がけくださいませ。

ちなみに、紡ぎ手の一人として、私の紡いだ糸も靴下などになっております。

そして、私の個人的なモノづくりですが、この前織った布がジャケットになりました。これは、ヒマーチャルの伝統的な服装です。
これを着て歩いていたら、みんなにいいジャケットだねと褒められました。
自分で糸から作ったよというと、みんなとっても驚きつつも、褒めてくださいます。

そして、例のベドゥーの毛を、もう誰もしない方法で紡いだ糸は、今日、織り機にかかるところまで作業が進みました。
後日、また写真もアップできたらと思います。
もう、無くっていく昔の技術ですので。

そして、最後に個人的な事ですが。。。
今日は(時間がかかりすぎて日が変わっていましたが)、私のお母さんの還暦のお誕生日でした。
いつも、好きな事を、自分のペースでさせてもらってありがとう◎応援してくれてありがとう◎
本当にありがとう◎

 

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

 

2020年5月9日に、戻りまして。

長く、要点もまとまり切っていないのですが、あえて修正せずにそのまま投稿しました。

初心。。。を思い出せてくれました。

お金の事も、先の事も何も考えないで、毎日、紡いでいた時。

そして、みんなにお仕事をしてもらうようになったのも、本当に自然の流れでした。

インドに行く前には、想像のかけらもなかった未来が今目の前で起こっている。

 

インドのみんなとも、携帯電話を持っている若い世代の人とは話せていて。

問題が起こったら、自分で考えて、こうしようと思う。とか。

今までは、紡ぎ終わった糸を運んでいたのですが、編む人に人に渡してもらえるよう。電話でお願いしていたら、編み手さんから、セーターを編み始めます。と連絡が来ました。

インドの方からも、日々、いろんな人から連絡が来ている。

 

この前、戻った時に思ったのですが。

みんなやる気で、この騒ぎの中でも、同じように生きている様子が想像できる。

封鎖になって、改めて思ったのですが、経済活動から遠い彼らの生活では、今のように、バス、車、バイクでの移動も困難、お店もやっていなくても、ウールの仕事は回していける。

循環している暮らしの一部である、ウール製品は、原料は羊飼いが遊牧する、ヒマラヤの草から始まって、人の技で出来上がる。

 

Nepalで今までの事をゆっくり、思い返しながら、

やっぱり、山の人達はさすがだなーーーー。

と、思い。そんなステキな場所に出会えたことに、改めて、深い感謝の気持ちが湧いてきます。

 

この日々も、ステキな通過点となっていくように。

国は違くても同じヒマラヤ。

‘nepal`サイドで、この予想外の時間に。

感謝をしています。

いつもありがとうございます。

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きれいな場所ですね